2009年11月23日月曜日

女性の時代

先日、深夜高速バスで東京まで行ってきました。

深夜高速バスなんて何十年ぶりでしょうか…

ビックリしました。
なんと女性の多いこと!

昔は夜行バスなどといったら、ほとんどが男どもで占められていました。
ところがいまは真逆です!

女性の二人連れが一番多いでしょうか。
一人旅もけっこう見かけます。

むしろ男の姿が見えません。
たまにいると、それはアベックです(笑)
彼女にいわれて付き合っているのでしょうね・・・

現代は男が「去勢された時代」といわれます。
なるほどと、深夜バスの乗客を見て思いました。

今はまさに女性の時代なのでしょうね。

2009年7月18日土曜日

言い訳

中国と日本の間に入って仕事をしてると、小さな違いが意外と大きな誤解に結びついてしまうということをしばしば体験いたします。

先日、日本の競合他社の現地代理人が私が商品を購入している工場へ同じ商品を買いたいと訪れるという「事件」がありました。その工場とはもう何年もの付き合いで、日本市場は我々を通じてのみ出荷するというお互いの了解がありましたので、かの工場長はさっそくその会見の様子を私に知らせてきました。

彼は代理人の招待で食事をしながら話し合いをもったのですが、相手がいよいよ本題の生産依頼の話にかかろうとしたとき、彼はある理由をつけてその場を去ったと言いました。その理由とは、「これから妻が出張で家を出るので、子どもの世話をする人がいない。私が子どもの世話をするために家に帰らなければならないので失礼する」というのです。これ、実は中国ではごく普通の言い訳というか、同じ中国人なら誰もが納得する理由なんですね。

同じことを日本人同士で言ったらどうでしょうか?
「たかが」子どもの世話のために商談を中座するというのか! 公私混同もはなはだしい! と、立腹されるのがオチでしょう(笑)。
日本人だと「ちょっと用事がありまして・・・」とか「ちょっと野暮用がありまして・・・」などといいながら断るのが普通ですね。相手もその「ちょっと」がどんなものかとしつこく聞くことはないでしょう。
この言葉を中国人に投げかけると、「おれとの話し合いより、ちょっと、の方が大事なのか!」「おれはちょっと以下の人間なのか!」と喧嘩沙汰になります。
中国では家庭の用事というのは仕事に匹敵するものと考えられているんですね~。このあたり日本とは反対です(笑)。

2009年5月29日金曜日

またまたスーザン・ボイル

どうやら準決勝は突破したようですね。

歌そのものは上手なのかどうか、私にはよくわかりません(笑)


声はきれいですが、
あいかわらずひょうきんなおばさんです!

2009年5月23日土曜日

中国河南省鄭州市

鄭州市は河南省の省都で、中原の地と称されます。
東流する黄河の南岸に位置し、西には洛陽市があります。
現在、旧都市の東側に50万人規模の新都市が計画されています。なんでも日本の建築家、黒川紀章の立案になるのだそうで・・・。

その昔、殷の時代に都であったため、その歴史は3500年に及びます。
こんな都市ですから、初めて訪れる私としては仕事以上に期待をもったものです。

上海虹橋空港を飛び立った飛行機は満席です。飛行機がすっかり人々の足になっているのだなァと実感します。
1時間ほどの飛行で、機は下降を開始します。眼下に見える大地はあくまで平たく、山というものが見えません。なるほど「中原」とはよく言ったものだと感心。

鄭州の南東はるかの地に新しい鄭州新国際空港があります。ローカル空港は市街の北東にあってほとんど市内といってもいい所にありますが、新国際空港は関西空港並に都心から離れています。飛行機に乗っている時間と同じくらいの時間をかけて市内へ入ります。

上海を見慣れた目から見ると、鄭州の町は省都とはいえどこか鄙びた感じがします。上海ではすっかり姿を見なくなった二輪車用と車道を区分けする鉄柵などがまだあります。走っている車も一世代古いものばかりです。大陸都市によく見られる土ぼこりがたまった道路も懐かしい光景です。

黄河中流域の都市にもれず、この鄭州も黄河の河床より低い所にあります。いったん黄河が氾濫したらこの町は水没することになります。くわばらくわばら・・・(笑)

今回の仕事は私の商品(といっても友人がやっている工場の製品ですが)の売り込みです。相手は気前よく10台もの機械を買ってくれるというのです。最終契約は鄭州でというのが条件でした。
相手は空港に迎えに来ていました。といっても担当者ではなく、通訳の女性と運転手の二人です。
今回は中国人の友人も一緒ですから商談は中国語です。私は横でよくわからない中国語を聞いていればいいという、ある意味気楽な商談です(笑)。

ホテルにチェックインした後、相手の担当者がやってきました。なかなか押し出しのある人物です。「貿易部経理」(日本だと貿易部部長といったところでしょうか)というのが彼の肩書きです。しかし、数日前に電話したとき彼が英語をしゃべることができないことを私は知りました。通訳の彼女がもっぱら彼の代筆をやっていたのでした。
彼は我々を街中の喫茶店に連れて行きました。てっきりオフィスに行くものと思っていた我々は面食らいましたが、とりあえずそこで商談が始まりました。
相手はバイヤーとしては異常なほど物分りがよく、細かな注文を出さずに契約書にサインをするといいます。やがて総経理(社長)や供応部経理もやってきてサインしました。

その後、担当者と通訳の彼女、そして運転手と一緒に夕食となりました。中国で流行の「火鍋」です。日本製のIH調理器の上に、真ん中が仕切られた鍋が置かれ食事が始まりました。
以前にご紹介しましたが、火鍋は仕切りの左右に甘いスープととてつもなく辛いスープがそれぞれ入っています。自分の好みに応じて好きなスープでしゃぶしゃぶを楽しむという寸法です。

商談後の供応としては簡素な食事が終わったころ、相手がカラオケに行かないかと誘いました。普通なら受けるところですが、相手はこちらの接待として自分たちを誘ってほしいといいます。なるほどこちらが売り込み側だからそれもそうだと私は思いました。ところが私の友人はそこで「これはおかしい!」と思いました。
彼によると、こちらはわざわざ日本や上海からやってきたのだから、いかにバイヤーとはいえ鄭州側が接待をするのが普通だというのです。私としてはどちらとも判断が出来ませんでしたが、彼はこれは詐欺だ!と直感したそうです。
つまり、カラオケに行ったら最後、途方もない金額を請求され金を騙し取られるというのです。どうりで現金がないといったらクレジットカードやバンクカードで払ったら?などと言っていたのです。
ともかく金もない、カードもないと言い張って早々に彼らと別れました。

翌日、彼らからは何の連絡もありません。以来彼らの消息は我々の前から消えてしまいました。こうして我々は危うく詐欺にあうところだったことを再認識したのでした(笑)。
我々の被害は旅費・宿泊費です。一方、彼らはどうかといえば、我々を空港に迎えにきたガソリン代、喫茶店代、そして粗末な夕食代金ぐらいでしょうか・・・その結果、彼らは何も!手にすることはありませんでした(爆)!

結局、期待に胸膨らませて訪れた鄭州は、私にとっては「詐欺の町」となってしまいました。友人によると鄭州人が詐欺師だというのは中国では常識なのだそうで。相手が鄭州人だと商売しないのが一般的だとも。
いやはや殷の子孫もえらい評判を得たものです(笑)。

後日談。
関西空港に到着して携帯の電源を入れたら、「あなたが登録しているサイトの無料期間が過ぎ、有料期間が続いて未払い金がたまっています。お支払いがなければあなたの個人情報を調べ法的手段をとります」という詐欺メールが入ってきました(笑)。
翌日事務所に出たら、イギリスからエアメールが届いていました。中身はイギリスで日本人が死んだ。苗字があなたと同じなので彼の遺産を受け取る権利があると考えます。つきましては遺産送金のためにしかじかの金額をお送りください」という詐欺メールでした(爆)。

世界的不況の影響はこうした詐欺の横行というかたちで世界規模で広まっているのです。

2009年5月10日日曜日

アップルマンゴー恐るべし!

私は好き嫌いがなく、雑食性というより悪食といってもいいほどです。
おかげでどこへ行っても食事で苦労したことはありません(笑)。
しかしながら、私にもダメなものがあります。

私は漆にかぶれる体質なのです。
子どもの頃はイチョウの木の下を通っただけで全身に発疹が出たものです。
現在は銀杏を食べると蕁麻疹が出るレベルです。

人生経験が増すごとに(笑)、食べられない食材もぼちぼちと増えてきました。
カシューナッツ、マンゴーが新たにリストに加わりました。
ともに漆科の植物ですね。つまり私にとって天敵は「漆」というわけです(笑)。

中国ではマンゴーが安いのでよく食べますが、私は半個も食べるともう翌日から発疹と痒みに悩まされます。でも、口含んだ段階ではおいしいんですよね。

この連休中、娘が食べたいというのでアップルマンゴーというのを買いました。
どんな味かと私も小指の先ほどの一片を試食しました。
普通のマンゴーではこれくらいノープロブレムです。

・・・のはずでしたが・・・

いま、私は顔全体に発疹が出て、痒みに夜も眠られないほどの事態に至っております(爆)!
唇など弱い部分が特にひどく、ただれている状態です。
もう一箇所唇と同じ形態をしている場所、肛門(爆)もご同様です(大笑)。

アップルマンゴー恐るべし!

2009年5月2日土曜日

再度貼り付け

CRY ME A RIVER

再度貼り付けしました。

削除されてしまった

スーザン・ボイルの「Cry me a River」の動画が、いつの間にか削除されてしまっていました。

いや、実のところ、この曲気に入っていたんですがね~・・・

いったいいかなる理由があったのでしょうか?

2009年4月26日日曜日

再再再度 スーザン・ボイルについて(笑)

と前後して吹き込まれたデモ盤がありました。

ほぼ同じ時期のもののようですが、声が若々しくすばらしいです・・・

で、これがそれ!






いや~・・・いいですね~

それしか言いようがない・・・

再再度 スーザン・ボイルについて

スーザンボイルについては
Wikipediaにもあっという間に投稿がされました。
すごい反響ですね。

<I dreamed a dream>はもう何度も何度も聞きました。
いやいや今でも聞いております(笑)。

しかし! 1999年チャリティCDのために吹き込んだ
<Cry Me A River>の方がすばらしいです。



10年前の吹き込みですから、彼女が37歳のころでしょうか。
う~ん・・・絶品です。

2009年4月25日土曜日

再度 スーザン・ボイルについて

スーザン・ボイルという女性をご存知でしょうか?
日本ではNHKがニュースで流したと聞きましたから、おそらく皆さまもご存知かと思います。
私はYouTubeに動画が流されて数日後に偶然から見ることになりました。一言でいえば面白くて感動しました(笑)。

ご存じない方のためにあえて解説しますと、イギリスにタレント発掘番組があります。アメリカ版の焼き直しのようなものだそうですが、要するに素人が出て自分の得意技を披露するという番組で、二年前にこの番組から自動車セールスマンからオペラ歌手になったポ-ル・ポッツが出たことで知られています。
今回のスーザン・ボイルはそれが再現したというわけですが、ポール・ポッツよりは断然感動度が違いました。
登場したスーザン嬢(!)は独身の47歳(当時)、教会のボランティアをしているごく普通のおばさん。というより、髪はボサボサ、太いゲジゲジ眉、お世辞にも美人とはいえない顔立ちで、誰もがTVに登場したことそのものに嘲笑をもらすような感じです。審査員のサイモン・コーウェルは辛口の審査員で、これまで数々の出演者を泣かしてきたといわれていますが、彼などははなからバカにしているようすです。
スーザンが夢はプロの歌手になることと言うと、サイモンはじゃ何故これまでなれなかったんだ!という始末。目標はエレイン・ペイジと言うと会場からは笑いが漏れました。審査員たちはさっさと歌わせて終わりにしようという感じでした。

彼女が選んだのは「レ・ミゼラブル」の中の一曲、「夢破れて(I dreamed a dream)」です。イントロが流れ、彼女が歌い始めるとその姿からは想像できない美声です。
サイモンが思わず驚きの表情をもらしたのは、これだけで番組史上珍しいことだったと言われました。会場は最初の小節以降総立ちで拍手喝采です。(選曲もよかったですね。)

私は最初海外サイトの画像で見たので歌詞がわかりませんでしたが、それでもひどく感動しました。
意味がわからなくても歌声とその情感、迫力で感動したのです。思わずティッシュを捜し求めました(笑)。それから日本語字幕付きのものを探し出し、ようやく歌詞を知りました。

そこで感じたのは、「翻訳は第二の創造」という言葉でした。複数の人がそれぞれ自分流に字幕を入れるのですが、言語をうまく意訳している人あり、聞き間違いをしている人あり、意味を取り違えている人ありとこれまたそれぞれです。
また、自分が聞き取れなかったか、重要でないと判断したのか、意外とポイントになる原語を訳していないことがあったり、そう訳したら審査員の気持ちと違うだろうというのがあったり、勝手な言葉を追加するなよ!というのありで、翻訳(通訳)の難しさを思わされました。

私もお客さんと中国へ出かけていくと、通訳をしなくてはなりません。日本のお客さんが品質について必死にくどくど説明するのを通訳するんですが、英語にするとほぼ半分くらいの長さになるんですね。遠まわしな表現も丁寧語もありませんから、それだけでも文章の長さが激減します。そうするとお客さんは私が本当に通訳したのか疑いの目で見るんです(笑)。
相手の英語を日本語にするときは、意味が通るように追加の言葉を入れますから、今度は相手が言った長さよりも長くなるんです。そうすると今度は私が勝手に自分の考えを付け加えているのではないかと、これまた疑いの目で見られます(爆)。

オリジナルの動画と、字幕つきの動画を見比べて、そんなことを思いました。

いまやスーザン・ボイル嬢は世界的有名人になりました。番組では決勝で勝ち残ると女王の前で歌えるという栄誉を授けられるそうです。世界中が応援しているでしょうね。

有名になると人がほっておきません。マスコミが押しかけ、はてはよってたかってスーザンさんの髪型、化粧、服装を変えようともくろんでいるそうです(笑)。実際最近目撃された彼女は、髪は栗色に染められ、眉も切りそろえられ、服装も垢抜けたものになっているようです。写真を見ると確かに大変身です!(笑) 
私的には元のままで変わらないでほしかった・・・(笑)

スーザンさんが合格(三人の審査員の「イエス」)をもらったとき、床を踏み鳴らし、腕を上げて吼えた姿がスコットランド人特有の喜びの表現だと知って、改めてイギリスにおける地域性(極端にいえば差別性)について考えさせられました。

小さい島国のイギリスですが、アイルランドを初めスコットランド、ウェールズ地方(ケルト人)など異文化地域があるという現実があります。おそらくスーザンさんが登場したとき彼女のいかにもスコットランド人風の姿が会場やTVの前の人々にある種の感情をもたらしただろうということは想像に難くありません。
しかし、彼女の歌声がその異文化を超えた感動をもたらしたというところに世界中の人が喫驚した一因ではないかと思います。

ま、ちょっとした「水戸黄門」のような感じがあったのが人気のもうひとつの理由かも・・・(笑) 歌声が「印籠」ですかね~(爆)

2009年4月22日水曜日

スーザン・ボイル

私はこれまでYouTubeをほとんど見たことがありませんでした。
いや、パソコンが古くて(ウィンドウズME!)動画を見るにはちょっと力不足なのです(笑)。

今思い出してもどうしてYouTubeを見ることになったのか思い出すことができませんが、
ともかくひょんなことからスーザン・ボイルがYouTube上でホットな話題になっていたまさにそのとき、彼女の動画を見てしまいました(笑)。

イギリスのタレント発掘番組とでもいうのでしょうか、その番組の一部が流れていました。
スーザン・ボイル(Susan Boyle)という女性が歌を歌うという、ただそれだけのことです。

しかし、私はその動画をなんと百回ちかく見てしまったのです。
しかも見るたびにティッシュが必要でした(爆)!

どう見ても見栄えのしないおばさんが出てきます。
47歳、独身、歌手になりたい。
それだけ聞くと会場の観客からも嘲笑が漏れます。
審査員たちも「こりゃ色物だわい」的な反応です。

そして彼女が歌い始めます。
最初の小節で会場はどよめき、次の小節に移るころには会場は歓声と拍手で大騒ぎです。
私も最初の歌声に「えっ?!」とのけぞりました。

彼女の歌声は聞くものをどんどん惹きつけていきます。
選択した歌もよかったですね。
レ・ミゼラブルの歌曲のなかの「夢破れて(I dreamed a dream)」でした。
初めて聞く私も思わず惹きこまれていきます。

そして何度聞いても涙が出てきます。
こんな経験はおそらく初めてではないかと思います。

スーザン・ボイルの飾らない普通のおばさん風采と彼女の歌声とのギャップがすごかったです。

いやー、歌ってこんな力があったんだと、認識させてもらいました。
日本の若い流行歌手との差が思われて、本来の歌とは何か?ということを考えさせられました。

2009年3月21日土曜日

ETCと高速料金

一般高速道路の料金が休日にかぎり一律1000円となる試みが始まりました。
これだけ聞くとけっこうなことのように思われますが、私にはどうにも納得いかないことがあります。

まず、何故ETC付きの車だけなのか?
ETCは料金徴収における経費削減(人件費の削減)のためという名目で宣伝普及に努められているものですね。
私などはめったに高速道路を使わないので、ETCは無縁のものと思っておりました。
実際、年に数回しか高速道路を使わないのなら、わざわざ高いお金を払ってETCを取り付ける必要もないわけです。

そう考える人も多かったのでしょう。
ETCは一定以上広まると、その後なかなか普及が進みませんでした。

しかし、ここに来て高速料金の大幅な割引によっていっきにフィーバー(古い表現だなぁ(笑))。
これにはなにか裏があるのでは?と勘ぐるのは私だけでしょうか?
ETCを売らんがために高速料金割引制度を始めたのか?と思ってしまいます。
そのうえ購入者に対する補助金を与えるというのです。

それだけのお金を他のことに使ったらいいじゃないかと思うのは私だけでしょうか?

さらにETC装着者だけに割引の恩恵を与えるというのはいかがなものでしょうか?
現金払いの利用者にも割引制度を適用するのが当たり前ではないでしょうか。

その他、土日だけだとか、期限付きの適用だとか、いろいろ問題がありますね。
どうにも納得がいきません。

2009年3月8日日曜日

ダイエット

体重が70キロを越えたころから、ときどき膝に痛みがはしるようになりました。
60キロ台に入ったころ、心臓に動悸が現れることがありました。
以来、体重は「順調に」増えつづけ、78キロを記録しました。

何度かダイエットに挑戦しました。
しかし・・・
けっか、77キロがわたしの平均体重となったのです。

1月下旬から3月上旬まで、娘と二人の生活をしました。
いつもひとりの暮らしをしているわたしにとってそれはそれはきつい日々でありました(笑)
娘の食事をつくることでついつい自分の食事を手抜きすることもしばしば・・・

そうした日々がつづいたある日、わたしは体重計に乗ってみました。
な、なんと! 
体重計は70キロ強を示しているではありませんか!
いつの間にか7キロも体重が減っていたのです。

いや~・・・うれしかったですね~。
何度も失敗したダイエットが自然と、そしていつの間にかできたのですからね。

後はこれからリバウンドしないようにしなければなりません。
いやはや、娘からのとんだ贈り物でした。