2016年7月4日月曜日

ブログをやっていることを思い出しました!

 そうだ、ブログをやっていたんだ!と思い出したのは今日のことです。  すっかり忘れていました。日々の暮らしに追いまくられていつの間にかブログどころではなくなっていました。  今もそうです。だから、また忘れるかもしれません。  というわけで、思い出した記念にちょこっと書いてみました。・・・誰も読まないだろうけど・・・

2010年3月12日金曜日

鄙びた食堂

出張で、浙江省のほぼ真ん中に位置する金華という町に行きました。

金華市は上海の南側、浙江省の真ん中辺り、やや西に位置している町です。
上海からおよそ4~500キロほど離れております。
ちょっと資料は古いですが、1999年に発行された地図の説明によりますと、市街の人口は19万人。4市4県が寄り集まってできた市です。
(中国では「県」は市よりも下の行政区です。)

金華の名前は隋の時代についたものだそうで、金星と婺女(ブジョ。金星と同じく星の名です)が花(華)をあい争ったという故事からついたといいます。

機械、紡績、化学工業、食品などの産業のほか、農業が発達しており、お茶の産地としても有名です。
また金華火腿(金華ハム)が有名ですね。豚の腿を吊るして、カビを生やさせて乾燥させるのですが、これがとても高級なハムとなるのです。

仕事帰りに昼食をとることになりました。
案内人のNさんが地元の郷土料理でいいですか?と聞きました。
中国で郷土料理といえば危険と隣り合わせです(笑)。

浙江省の省都、杭州では蛇料理に、赤犬料理、そしてサルの脳みそと郷土料理を体験している私は、「変なものでなければ」という条件付で、その郷土料理を試してみることにしました(笑)。

レストランまでの道のりは想像以上に遠かったです。山間のくねくねと曲がった狭い道を三十分ほども走ったでしょうか。
それは日本の山間風景とまったく同じです。まるで自分の田舎の山道を走行しているのかと錯覚するほどでした。

ようようの思いで到着したところは、川のほとりに建っている小汚いレストラン、というより食堂、いや、なんというかふつうの家、とでも言うべきでしょうか。ま、一応「飯店」と看板が掲げてありますから、食堂なのでしょう。
添付写真をごらんいただくとお分かりのように、日本ではまず営業許可が下りないようなところです(笑)。



「紅豆飯店」という名の、この店は、実はかなり有名な店なのだそうです。
観光地にあって、多くの観光客が訪れるといいます。先のNさんはこの地に二年ほど住んでいて、しばしばこの店を訪れたといいます。
写真は店の入り口ですが、ここが厨房をかねています。流しは手前のセメント作りのものがひとつ。雨が降れば水道を使わなくても水の心配は要らないという感じです(笑)。
ガスなどはありませんから、厨房入り口に並んでいる大小各種のコンロで煮炊きするのです。
手前左端に半分見えていますが、赤色のたらいには採ってきたばかりのウナギがにょろにょろうごめいていました。

十年ぐらい前まではこういう店は上海でもよく見られましたが、今ではすっかり影を潜めました。
私も久しぶりです(笑)。

料理は四川料理ほどではないにしても、かなり辛めでした。
浙江省の料理は比較的甘いものが多いのですが、ここのは激辛でした。
ま、ここまでは肉料理にしても、野菜料理にしても、唐辛子で真っ赤という以外はあまり珍しいというほどのものではありません。

この店の呼び物は「竹飯」とでもいうのでしょうか、竹で炊いたご飯です。
竹の筒に肉や野菜を混ぜ合わせたもち米を詰め込み、それを炭火で焼くのです。
食べるときは竹を縦に半分に割って食べます。添付写真は真っ二つに割ったときの様子です。
(ご飯を詰めるときは節のところにあけた小さな穴から入れます。)
これがこの店の「売り」でした。



お味のほどは大変結構なものでした(笑)。

2010年3月9日火曜日

近頃の上海

半年ぶりに上海を訪れました。
まずびっくりしたのが、地下鉄網の発達です。
数年前までは上海市内を南北に走る1号線と東西に走る2号線しかありませんでした。
しかし、いまや地下鉄はなんと11号線までできているのです!

日本の観光会社のウェッブサイトでも最新版が間に合わず、9号線までしか載せていないところが多いくらいです。
それだけ建設速度が速いのでしょう。
私はUrbanrailnetという世界中の鉄道網の地図を掲載しているサイトから上海の地下鉄図をダウンロードして持参しました。これには最新の11号線まで載っていたからです。

11号線は最も新しい路線で、浦東区の中心地、花木路から、上海市内の南をぐるっと周回して、上海の北西部の端に位置している上海大学まで走っています。

11号線は文字通り、ピッカピッカ(古い表現ですね(笑))の新路線です。
何もかも真新しく、気持ちいいですね。

ホームは全線ガラス張りで、乗客が誤って線路へ転落するのを防ぐタイプです。京都でいうと東西線のような感じでしょうか。もっともホームの広さは倍ほどもありますが・・・
エスカレーターは右側が立つ方で、左側が急いでいる人むけに空けるよう指示してあります。エスカレーターの足を乗せるところに「立つ人」「急ぐ人」とペンキで書いてあるので分かりやすいです。

切符はピタパなどと同じく非接触型で、改札口にある受信部へ近づけるだけです。
リチャージ型の定期などをもっている人は接触するたびに残高が改札機の表示部に表示されます。
私のようにいちいち切符を買う人は、入場時には改札機へ近づけるだけで入れますが、出るときはスロットへ挿入して回収されます。
リチャージ型のものはカードではなく、縦3センチ、横2センチくらいの小さなお守りのような形状をしています。中央部がちょっと膨らんでいて、柔らかいですね。携帯のストラップと間違えるほどです。
ちなみに、この「カード」はタクシー料金の決済でも使用できます。

改札機は日本のように観音開きではなく、三本の棒が飛び出ている回転式です。
通り抜けるときはこの回転棒を身体で押し回すわけですね。

さて、乗客ですが、さすがに上海大学行きだけあって圧倒的に学生が多いです。
なにより驚いたのは、彼らが日本の学生とほとんど変わらないということでした。
服装はもちろんですが、全員が携帯電話を触っているか、ゲーム機に夢中になっているか、iPodで音楽を聴いているかで、その光景は日本の電車に乗っているかと見間違うほどです。
それはもう海外にいることを思わず忘れさせるほどでした。

逆に若者文化が世界共通になってしまって、地域性を失ったことをも意味していますね。
単一文化はやがて腐敗していくという社会法則を考えると、これは憂うべきことかもしれません。

携帯電話機も交代が激しく、いまや人気はスライド式の大画面タイプです。
画面はほとんどがタッチ式で、iPhoneかと見間違えるほどですが、コピー製品です(笑)。
IPhoneをもっている金持ちの学生もいます。
ほとんどがゲームをしていました(笑)。

今や中国の若者は日本とほとんど変わりません。
このまま若者文化単一化したら、やがて文化は消滅してしまうのではないでしょうか・・・

恐ろしいことです。
文化は多様性があってこそ、次世代を形成するものです。
単一化した文化など、後は死を待つばかりです。

文化の多様性は何とか維持してほしいものです・・・

2009年11月23日月曜日

女性の時代

先日、深夜高速バスで東京まで行ってきました。

深夜高速バスなんて何十年ぶりでしょうか…

ビックリしました。
なんと女性の多いこと!

昔は夜行バスなどといったら、ほとんどが男どもで占められていました。
ところがいまは真逆です!

女性の二人連れが一番多いでしょうか。
一人旅もけっこう見かけます。

むしろ男の姿が見えません。
たまにいると、それはアベックです(笑)
彼女にいわれて付き合っているのでしょうね・・・

現代は男が「去勢された時代」といわれます。
なるほどと、深夜バスの乗客を見て思いました。

今はまさに女性の時代なのでしょうね。

2009年7月18日土曜日

言い訳

中国と日本の間に入って仕事をしてると、小さな違いが意外と大きな誤解に結びついてしまうということをしばしば体験いたします。

先日、日本の競合他社の現地代理人が私が商品を購入している工場へ同じ商品を買いたいと訪れるという「事件」がありました。その工場とはもう何年もの付き合いで、日本市場は我々を通じてのみ出荷するというお互いの了解がありましたので、かの工場長はさっそくその会見の様子を私に知らせてきました。

彼は代理人の招待で食事をしながら話し合いをもったのですが、相手がいよいよ本題の生産依頼の話にかかろうとしたとき、彼はある理由をつけてその場を去ったと言いました。その理由とは、「これから妻が出張で家を出るので、子どもの世話をする人がいない。私が子どもの世話をするために家に帰らなければならないので失礼する」というのです。これ、実は中国ではごく普通の言い訳というか、同じ中国人なら誰もが納得する理由なんですね。

同じことを日本人同士で言ったらどうでしょうか?
「たかが」子どもの世話のために商談を中座するというのか! 公私混同もはなはだしい! と、立腹されるのがオチでしょう(笑)。
日本人だと「ちょっと用事がありまして・・・」とか「ちょっと野暮用がありまして・・・」などといいながら断るのが普通ですね。相手もその「ちょっと」がどんなものかとしつこく聞くことはないでしょう。
この言葉を中国人に投げかけると、「おれとの話し合いより、ちょっと、の方が大事なのか!」「おれはちょっと以下の人間なのか!」と喧嘩沙汰になります。
中国では家庭の用事というのは仕事に匹敵するものと考えられているんですね~。このあたり日本とは反対です(笑)。

2009年5月29日金曜日

またまたスーザン・ボイル

どうやら準決勝は突破したようですね。

歌そのものは上手なのかどうか、私にはよくわかりません(笑)


声はきれいですが、
あいかわらずひょうきんなおばさんです!

2009年5月23日土曜日

中国河南省鄭州市

鄭州市は河南省の省都で、中原の地と称されます。
東流する黄河の南岸に位置し、西には洛陽市があります。
現在、旧都市の東側に50万人規模の新都市が計画されています。なんでも日本の建築家、黒川紀章の立案になるのだそうで・・・。

その昔、殷の時代に都であったため、その歴史は3500年に及びます。
こんな都市ですから、初めて訪れる私としては仕事以上に期待をもったものです。

上海虹橋空港を飛び立った飛行機は満席です。飛行機がすっかり人々の足になっているのだなァと実感します。
1時間ほどの飛行で、機は下降を開始します。眼下に見える大地はあくまで平たく、山というものが見えません。なるほど「中原」とはよく言ったものだと感心。

鄭州の南東はるかの地に新しい鄭州新国際空港があります。ローカル空港は市街の北東にあってほとんど市内といってもいい所にありますが、新国際空港は関西空港並に都心から離れています。飛行機に乗っている時間と同じくらいの時間をかけて市内へ入ります。

上海を見慣れた目から見ると、鄭州の町は省都とはいえどこか鄙びた感じがします。上海ではすっかり姿を見なくなった二輪車用と車道を区分けする鉄柵などがまだあります。走っている車も一世代古いものばかりです。大陸都市によく見られる土ぼこりがたまった道路も懐かしい光景です。

黄河中流域の都市にもれず、この鄭州も黄河の河床より低い所にあります。いったん黄河が氾濫したらこの町は水没することになります。くわばらくわばら・・・(笑)

今回の仕事は私の商品(といっても友人がやっている工場の製品ですが)の売り込みです。相手は気前よく10台もの機械を買ってくれるというのです。最終契約は鄭州でというのが条件でした。
相手は空港に迎えに来ていました。といっても担当者ではなく、通訳の女性と運転手の二人です。
今回は中国人の友人も一緒ですから商談は中国語です。私は横でよくわからない中国語を聞いていればいいという、ある意味気楽な商談です(笑)。

ホテルにチェックインした後、相手の担当者がやってきました。なかなか押し出しのある人物です。「貿易部経理」(日本だと貿易部部長といったところでしょうか)というのが彼の肩書きです。しかし、数日前に電話したとき彼が英語をしゃべることができないことを私は知りました。通訳の彼女がもっぱら彼の代筆をやっていたのでした。
彼は我々を街中の喫茶店に連れて行きました。てっきりオフィスに行くものと思っていた我々は面食らいましたが、とりあえずそこで商談が始まりました。
相手はバイヤーとしては異常なほど物分りがよく、細かな注文を出さずに契約書にサインをするといいます。やがて総経理(社長)や供応部経理もやってきてサインしました。

その後、担当者と通訳の彼女、そして運転手と一緒に夕食となりました。中国で流行の「火鍋」です。日本製のIH調理器の上に、真ん中が仕切られた鍋が置かれ食事が始まりました。
以前にご紹介しましたが、火鍋は仕切りの左右に甘いスープととてつもなく辛いスープがそれぞれ入っています。自分の好みに応じて好きなスープでしゃぶしゃぶを楽しむという寸法です。

商談後の供応としては簡素な食事が終わったころ、相手がカラオケに行かないかと誘いました。普通なら受けるところですが、相手はこちらの接待として自分たちを誘ってほしいといいます。なるほどこちらが売り込み側だからそれもそうだと私は思いました。ところが私の友人はそこで「これはおかしい!」と思いました。
彼によると、こちらはわざわざ日本や上海からやってきたのだから、いかにバイヤーとはいえ鄭州側が接待をするのが普通だというのです。私としてはどちらとも判断が出来ませんでしたが、彼はこれは詐欺だ!と直感したそうです。
つまり、カラオケに行ったら最後、途方もない金額を請求され金を騙し取られるというのです。どうりで現金がないといったらクレジットカードやバンクカードで払ったら?などと言っていたのです。
ともかく金もない、カードもないと言い張って早々に彼らと別れました。

翌日、彼らからは何の連絡もありません。以来彼らの消息は我々の前から消えてしまいました。こうして我々は危うく詐欺にあうところだったことを再認識したのでした(笑)。
我々の被害は旅費・宿泊費です。一方、彼らはどうかといえば、我々を空港に迎えにきたガソリン代、喫茶店代、そして粗末な夕食代金ぐらいでしょうか・・・その結果、彼らは何も!手にすることはありませんでした(爆)!

結局、期待に胸膨らませて訪れた鄭州は、私にとっては「詐欺の町」となってしまいました。友人によると鄭州人が詐欺師だというのは中国では常識なのだそうで。相手が鄭州人だと商売しないのが一般的だとも。
いやはや殷の子孫もえらい評判を得たものです(笑)。

後日談。
関西空港に到着して携帯の電源を入れたら、「あなたが登録しているサイトの無料期間が過ぎ、有料期間が続いて未払い金がたまっています。お支払いがなければあなたの個人情報を調べ法的手段をとります」という詐欺メールが入ってきました(笑)。
翌日事務所に出たら、イギリスからエアメールが届いていました。中身はイギリスで日本人が死んだ。苗字があなたと同じなので彼の遺産を受け取る権利があると考えます。つきましては遺産送金のためにしかじかの金額をお送りください」という詐欺メールでした(爆)。

世界的不況の影響はこうした詐欺の横行というかたちで世界規模で広まっているのです。